母は東北出身で色白
姉は母に似て色白だったけど、私は父に似て色黒だった
それが気に入らなかったのか、小さい頃から「黒ンボ」とか「チビ黒」と呼ばれたり
「貴方は色黒だから」という理由で黒と紺しか着せてもらえなかった。
小学校にあがるとみんな綺麗な色の私服なのに、私は毎日黒か紺で
母親に、可愛い色の服を着たいとお願いしたら
「自分に似合わない服を着たいとか、頭おかしいんじゃないの」といわれた。
姉のピンクのシャツをもってきて、「ほら、コレみてごらん」と鏡の前で私にあわせて
「チンドン屋みたいでしょ?貴方がこんな服きたら、みんな大笑いするわ」と言った。
ちなみに姉は明るい色のワンピースとかブラウスとかばかり着ていた。
3年生になった時、Aちゃんという同じクラスの友達ができた。
彼女は母子家庭で家に帰っても誰もいないから、と帰りに友達に今日遊べるかどうか聞いて回り
遊べる子の家にそのまま直行して入り浸っていた。
私もそのうちの一人だった。
Aちゃんは色白で髪も長くてサラサラだった。
母は一目見てAちゃんを気に入ったらしくて、Aちゃんもそれがわかったのか、母を「ママ」と呼び
母は母でAちゃんに「本当はママの家に生まれるはずだったのに、神様が間違えちゃったのかな?」と言って笑っていた。
ある日Aちゃんがピンクの可愛いワンピースを着てうちにきた。
母はそれを見て「まー。可愛い。私こんな可愛い子が欲しかったのよねぇ。
ほら、姉子とならんでみて?これこそ姉妹ってかんじでしょ?あー。やっぱり女の子はこうでなくちゃねえ
うちは女の子が姉子ちゃんだけだから、こういう妹つくってあげたかったわー
あ。妹子も一応女の子だけど、女の子って呼ぶにはちょっとねぇ・・・」と
チラッと私を見ながらいった。
姉はAが嫌いだったので、さっさと部屋に逃げ帰ったが、その後母はしつこく何度も
「ピンクが似合うわ」「ウチの子になってほしい」「女の子2人ほしかったのよねえ」と言っていた。
その日、私は何度もトイレにいって泣いた。
目を真っ赤にしてトイレからでてきた私をみてA子は笑いながら「生まれる家間違えちゃったね~」とからかってきた。
それでまたトイレに逃げ帰って泣いた。
その後少しずつ親との距離が離れて、自分の小遣いで服を買えるようになったけど
せいぜいが緑とか薄い紺色くらいで、未だに明るいパステルカラーを人前で着られない。
買ったことはあるんだけど、試着して鏡の前にたって自分の姿をみたとき吐き気がして涙がとまらなかった。
多分一生このままだろうな・・・
長いけど読んだ
本当に酷い親だしAちゃんも変な子だと思う
うちは兄だけど子供に優劣つけて女女しいいじめみたいなことする点は一緒
あんたには可愛いもの似合わないって変な服着せてくるのも分かる
普通兄弟差別って長男長女側が損させられて妹は姫扱いなイメージだから、周りもあまり理解してくれなかったりしない?
ちなみに的はずれなアドバイスかもしれないけど、パーソナルカラー診断をお勧めする
私は黄肌で可愛いパステル似合わなかった
似合うのがオータムカラーで、素材も若い子らしいフリフリではなくシュッとしたシャツやパンツだと分かって
イメチェンしてから親以外の他人からは時々高評価得られて少し自信がついた
無理にパステル着て確かに似合わないわ…ってわざわざお姉ちゃんと同じ方向性に行く必要もない
所詮そんなの親の勝手なものさしだし
世間的に色白のが人気でもあるけど、極端かもだけどラテン系や黒人もその系統なりの格好良さがあるからそっちに寄せた方がいい
同じ経験したし私は頭髪も頭から陰毛生えてるみたいな縮毛だったから散々だったわ
パステル系の可愛い服はまだ憧れるけどババアになってからはフリルとか着てると痛いだけだし今思うと得ではあった
若いうちしかメリットないな
何か自分のトラウマも甦って来てしまう
皆は親がタヒんだら葬式に行く?
私は母にそっくりのDV毒兄が事故ってタヒんだ時、行かなかったなぁ
もっと早くタヒんでくれてたらなぁ
どんなにか良かったろ…
純粋な幼心が傷付いたのは、無意識に一生付きまとい、容易く取れないものです
だから絶対に一生の指針となる幼心に、自身を奪ったり等々傷付けてはならないのです
すみません
引用元: ・親が毒親の喪女6