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毒親とは?
「毒親」とは子どもの意思を無視し一方的な価値観を押し付けたり、子どもに理不尽に暴力をふるったり、子どもにとって「毒」となる親のことを指します。スーザン・フォワードの著書『毒になる親 一生苦しむ子ども』が話題となり、この本をきっかけに生まれた俗語です。

本当にあった毒親との関わり・体験談集
当サイトに送ってもらった毒親エピソードを、4つのタイプ別「過干渉 虐待 無関心 支配 」に分けて掲載しています。
過干渉タイプ
【特徴1】 親が子供が望んでない事を必要以上に押し付けて、身の回りの事を干渉すること。
【特徴2】 過保護とは違い、命令口調で子供に「〇〇しないとダメ、あなたのためを思っていってるの」など言ってしまう事。 アドバイスのつもりで言っていても子供は理解できず、子供の自発性を損ねる可能性があります。
実家に住んでいた時は、毎日のように、妹と比べられて「お前は可愛くない」「どうせ私のこと嫌いなんだ」と言われていました。小学校高学年くらいからは、親が共働きであったために、夕飯の手伝いや洗濯などを強いられていました。小学生だったので、周りの子たちは何もしていないのにつらかったです。お手伝いをしていないと、ヒステリックを起こして怒鳴り散らしたり、手を挙げてきたりすることもしんどかったです。
高校生の時は、大学受験のために勉強していると「そんなことばっかりしてないで手伝え」「落ちたら恥ずかしくてしょうがない」「お前にお金は使いたくない(だから塾にも入れないし、受験校も絞れ)」と言われていて、だいぶ追い詰められました。大学3年になって実家を出ることを許されて、やっと少し解放された気がします。なるべく会わないことが一番です。
[投稿日:2020/12/03]
私の意見をすべて否定する
- 性別:女性
- 年齢:30代
- 住まい:非公開
昔の話になりますが、自分が話していることが絶対だと言った感じで、話を聞く気は一切なく何を言っても伝わらなかったです。私がやりたいと思ったことがあっても、全て反対されるしお前なんてダメだの一点張りで苦しかったです。愛されて伸び伸びと暮らしたかったのに、自分の固定概念が正しいと自分の感性が正しいといつも言っていました。
大人の言うことは正しいかもしれない。けれど子供の言っていることにも少しは耳を傾けて欲しかったです。親が優しい人が羨ましかったです。私は、自分の親のようになりたくないと思ったし、反面教師として真似せずに自分の正しさに従って生きていこうと歳を重ねて思うようになりました。当時は辛かったです。
[投稿日:2020/12/02]
母親の顔色を伺いながらの生活
- 性別:女性
- 年齢:30代
- 住まい:非公開
母から妹と違う扱いを受けた事です。妹はちゃん付け、自分はアンタ、おい、など。また、向けられる表情もいつも眉間にシワを寄せ、不機嫌な顔をしていました。一度3人で出かけたこともありましたが、私が妹と楽しそうに話しているのが気に入らないらしく、明らかに不機嫌な態度を取られたことがあります。そのあと、わたしが遠慮して話さずにいたら、妹とおしゃべりするうちに機嫌が治ってきました。結婚したらある程度は解放されました。
しかし、連絡が遅いと少しの時間でも嫌味を言われたり急かされたり、全然帰らないなど文句をいわれます。顔こそ合わせる事は減りましたが、連絡手段が発達した今、完全に関わりを立つ事は難しいです。母の前では絶対に不機嫌な態度や気に触る事をせず、我慢して穏便に過ごすようにしています。
[投稿日:2020/12/02]
両親ともに毒親
- 性別:女性
- 年齢:30代
- 住まい:東京都
うちは両親ともに毒親でした。まず父親は気に入らなければ暴力、怒鳴るは当たり前に毎日あり、浮気、家にお金を入れない、等ありました。母親は過干渉、冷たい態度、理不尽な理由での暴言や無視、暴力等がありました。今ではすぐに児童相談所が動いて、保護されてもおかしくない家庭だったと思います。小学生の時は特に酷く、通知表を持ち帰ると毎回2、3時間説教されました。自分の思った結果ではないと殴られて暴言を吐かれます。
成績を頑張って全て上げても一緒でした。難癖付けたいだけ、ストレス解消の為にやっていたのだと思います。母親は一見優しい様に見えましたが、自分の意にそぐわないと口うるさく何度も罵ります。この様な両親ですが、私が結婚をして家を出ると距離のある場所に住んでいた事もあると思うのですが、干渉される事はなくなりました。又、孫に会えなくなるのも嫌なのと年齢もあると思いますが、現在では良好な関係ではあると思います。
[投稿日:2020/12/01]
何をしても否定される
- 性別:女性
- 年齢:30代
- 住まい:東京都
一番辛かったのは、何をしても否定されることでした。子供の頃は母に喜んでほしくて洗濯物を畳んだりお手伝いをしたかったのですが、「なんでこんなに汚く畳むの」「余計なことしなくていいの」そんな言葉ばかりでした。当時は悲しくても自分のやり方が悪かったんだと思っていましたが大人になってからは母が毒親だったと感じています。褒められた記憶はほとんどありません。
他に辛かったのは、外でよく「恥ずかしいことしないでよ」と言われたことです。レストランで食べ物を少しこぼしてしまったり、ハンカチを持ってくるのを忘れたこと、本当に些細なことです。なので私はお母さんにとって恥ずかしい子なんだと思っていました。私が大人になって程よく距離をおくことができて解放されました。
[投稿日:2020/11/28]
嫌な記憶しか残っていない
- 性別:男性
- 年齢:40代
- 住まい:静岡県
幼少期の話です、毒親(父)との毎日嫌な生活を送っていました。何をするにしても「そんな事してどうするだ」「意味ないでしょ」等と嫌味を言われ育ち続けてきました。小学生の頃(低学年)、ダンボールでオモチャを作っていた時に近くに父が寄ってきて「そんなん作ってどうするだ」「なんの意味があるだ」と、馬鹿にするような言い方で言われ、返答に困る質問を浴びせてきた事を今でも記憶に残っています、小学生ながらムカッとしてました。その他には、ニュース番組やクイズ番組を家族で観ている時に「お前これわかるか?」と父に言われ、分からないと答えると「そんなんも分からんのか」と鼻で笑う様な感じで言われていました。そして社会人になって1人暮らしを始め家から出た事で解放されました、とても嫌な記憶しか残っていません。
[投稿日:2020/11/28]
束縛が激しかった
- 性別:女性
- 年齢:40代
- 住まい:三重県
世間的には一般的で虐待もネグレクトもない家庭でしたが、妹と比較して行動を制限されることが多かったです。社会人になっても一人暮らしをさせてくれず、また学生時代は携帯電話を持たせず、アルバイトも禁止されていました。それ以外にも恋愛、流行のファッションなど若者が普通にしそうなこと全て禁止されていました。
一方で妹は学生時代から携帯電話を所持し、アルバイトもして恋愛もしていました。一体どうしてそこまでして私を拘束したかったのかわからない状態です。この状態から抜け出すためにはもう結婚するしかないと思い、いちばん逃げたいと思った時期に知り合った男性に気に入られ、とりあえず結婚するしかないと思って結婚してそのまま出ることができました。
[投稿日:2020/11/26]
過干渉な毒親だった
- 性別:女性
- 年齢:40代
- 住まい:大阪府
小さい頃から両親は共働きで両親に抱っこしてもらったり、手を繋いでもらった記憶は一つもない。学生時代も両親に褒めてもらいたく部活動を頑張り表彰状をもらっても帰ってきても、毎日練習してるのだから同然の結果だと褒められた記憶もない。子供のころにいじめにもあったが仕事が忙しい両親に相談することもできずにいた。社会人になりいい年になっても門限はあり、門限を超えると親がどれだけ心配してると思っていると叱責させる。
実家暮らしであるものの、平日立て続けに仕事終わりに食事に行くだけで毎日毎日誰とどこ行ってるんだと愚痴を言われ、休日友達と遊びに出かけると誰とどこに遊びに行っているのだと確認をされる。出かけている間が自由な時間。親の理想の子供をやってきたけれど自分自身がないことを最近理解し、知人に相談して親へ自分の今までの思いを全部伝えることにした。 知人の助けもあり何かあったら手助けしてくれるとバックがついたので親と対決することに。自分の思いを告げると叱責され親がどれだけお前の心配をしていると思っている結婚するまではいくつになっても親が面倒を見るのは当たり前だと、お前に何かあったら世間体に親がどう思われるか。
毒親、過干渉の典型的だと実感した。親と言い合いになったときに親からお前のこれからの人生干渉しない、親が死んでも葬式に来るな勘当だ!家を出ていきなさい。と言われ家を出ることにより親から解放された。完全に勘当にはならず仕事上、親から週に1度ほどの連絡あり。ただ仕事のことだけで私自身の生活を気遣うこともなく、どうしてるかも聞くこともない。
[投稿日:2020/11/26]
両親がエリートだと…
- 性別:男性
- 年齢:40代
- 住まい:東京都
両親は大学時代の同級生です。誰もが知っている有名私大卒で、子どもの自分のことも、その大学の付属の小学校に入れようとしていました。母はお嬢様育ちで、言葉づかいや態度を荒げることはありませんが、小学校受験の勉強をしている時には「これがわからなければお夕飯は抜きよ」と言われました。自分は両親のように成績の優秀な子どもではなかったので公立の小学校に入りました。東京の下町の小学校だったので、エリートの両親を持ったせいなのか自分は馴染めずにいじめられました。
その後も両親は受験を諦めることはなく、中学受験もしました。受験について自分の意思を確認された覚えはありません。ただ自分たちが楽しかったから、その大学に入るように話されました。父からはいつも怒られ、母は怒らないけれど「怒られるようなことをしないように」と言われていました。両親と同じ大学の附属は無理で、他の私立の中高一貫校に入りました。 自分は、勉強の中で数学が好きだったので、高校では数学の難問を勉強するのが好きでした。受験対策はまったくしておらず大学受験には失敗しました。浪人した末にひきこもりも経験しました。その後は紆余曲折ありましたが、結婚して働いています。
自分の子どもの頃の経験を話した妻に、両親のことを毒親ではないかと話をされました。自分はひきこもり、両親にはずいぶん心配をかけていたため、否定していました。両親は孫を可愛がってくれるので、良好な関係だったと思います。でも先日、父と電話で話した際に、仕事を辞めたいといった自分のことを事情も聞かずに頭ごなしに大声で否定されて、とても悲しくなってしまいました。思えば、大学受験現役の頃も父は「そんなんじゃダメだ。落ちる。」と言われ本当に落ちました。こうやって気持ちをつぶされてきたんだなと感じました。今までに思ったことのないぐらい、父にがっかりしています。
[投稿日:2020/11/25]
過干渉な両親
- 性別:女性
- 年齢:40代
- 住まい:奈良県
とにかく過干渉なのが辛いです。ひとりの人間として見られていない、という感じがひしひしと伝わってきて面倒でした。私自身、障害をもっているため家を出て自活するのが難しく、その辺りも関係しているのかもしれませんが、もうちょっと放っておいてほしいかなぁと思います。40代も半ばを過ぎて、自分で考えて行動する力はあるのにも関わらず干渉してくるのはやっかいです。
「もう大人なのを理解して」と伝えてはいるのですが「いくつになっても親にしてみれば自分の子どもだもの」と答えるのです。最近では、もうそういう「趣味」なのだと割り切って、干渉してくることは受け流しています。とはいえ、普段家事を手伝っていて、出す指示(茶碗をしまう場所など)が時折変わるのはやっかいですね。「前はこう言ったよ?」と言っても「そんなこと言ってない」というので、こちらも受け流しています。
[投稿日:2020/11/22]
せっかちで自己中な母親
- 性別:女性
- 年齢:50代
- 住まい:愛知県
母は、せっかちな人で自己中。何か手伝って欲しい事があると、「これして」って子供に頼む。少しでも渋る素振りや、すぐに手伝わない場合、烈火の如く怒りだし、「もうやらなくていい」と言い放す。「やります」って、手伝おうとすると、「もういい」と言い、払いのけられました。怖かったので頼まれた時は、機嫌を害さない様に、直ぐに手伝う様にしてました。もう一つ、買い物に一緒に行き、自分の買い物の物を、選んでいる時、少しでも迷っていると、早くしなさい、もう買わなくていい、って、怒られる。
母はさっさと自分買いたい物の売り場に行ってしまう。泣き出したい気持ちで何も選べず、帰宅することも。じっくり選びたい性格なので、辛かった。一人で買い物へ行ける様になってからは、母とは絶対に一緒に行かないようにしている。この2つは、今でもそうです。トラウマになってます。
[投稿日:2020/11/20]
毎日妹と比べられていた